12,13日と六花亭主催のリサイタルを2日に渡りしてきました。
大きな地震が起こってしまって、コンサートがキャンセルになるかな、と心配していましたが、無事に演奏してきました。
12日の真駒内の本番はチケットが完売でした。
コンサートには、そのほとんどの方がお越しくださり、それだけでとても胸が熱くなりました。
とても熱心に演奏も聴いて下さっているのが伝わってきて、
最後、アンコールを弾き終わった後の拍手のときには
「来てくれてありがとう!!」
というお声を頂き、私の方が元気や勇気をもらいました。
最近、演奏とは何だろう、特に「生」の演奏に求められていることは何だろう、
と考えます。
今のところ、私が辿りついた答えは、二つ。
一つ目は、奏者の魂がいかに音にのっているか、ではないかと考えています。
魂の宿る音は、CDでは伝わりません。
「生」でしか体感することは出来ないことではないかと思います。
魂を乗せるということは、感情的に弾くこととは全く違うと考えています。
感情が第一にきてしまうと、それは奏者の独りよがりの音楽になってしまって
聴いている方への押し付けになるような気がします。
それに対して、魂を乗せるというのは、
聴き手の魂と奏者の魂が共鳴しあうことではないかと思います。
二つ目は、聴き手に必要とされたときに、必要な存在でいれるかどうかかなと思います。
例えばTVなど、自分が観たいなと思ったタイミングで楽しいものを観たり、ニュースを観たり、そのときの気分で自分で選択できます。
それと同じように、我々の奏でる音楽が必要とされたとき(コンサートにいってみようかなと思ってきてくださるとき)に、音楽を聴くことによってその人が今本質的に求めている状態に、いかに音楽が導いてあげれるかだと思います。
その時、魂が宿った音楽が届けることが出来れば、聴き手の魂と共鳴し、恐らく、彼らが期待していたものとは違った新たな感情だったり、気づきだったり、そういうものが内面から生まれてくるのではないかと思います。
そういうことを今回のコンサートでは学びました。
素晴らしい時間でした。
さて、次は19日!町田です!!!
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